知床Express

SNSとクマ対策

SNSとクマ対策

 ここ数年はtwitterやInstagramなどのSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)が急速に普及し、「◯◯でクマを見た!」といったリアルタイムな投稿によって、クマを見たい人がその場に集まるといったケースが珍しくなくなってきました。投稿がバズる(話題となる)ことで現場に人が集中し、車渋滞や人身事故などが起こる可能性を高めてしまっています。また間違った事実、情報が拡散してしまうという危険もはらんでいます。さらに、クマ出没の投稿だけがひとり歩きし、『運転中に出会っても車から降りない、近づき過ぎない、エサをあげない』などのルールやマナーが置き去りにされていることも現状です。

 このような環境の変化を受けて、私たちは2018年にヒグマの生態やマナー、ルールの普及に特化した「知床のひぐま」というホームページを立ち上げました。さらにここ数年は、twitterやInstagramなどのSNSによる情報発信にも力を入れています。

 クマ対策チームが主に利用しているSNSはtwitterです。twitterの強味は「拡散力」です。投稿をフォロワーがリツイートすることにより、さらに多くの方の目にふれることになります。前述のようなSNSのデメリットや危険性をきちんと理解した上で、そのメリットを活かしたクマ対策活動についてご紹介します。

 

SNS

@bear_shiretoko

@bear_safety_shiretoko

@BearSafetyShiretoko

 

ホームページ

https://brownbear.shiretoko.or.jp/

最新の出没状況や対処法、生態などをご紹介しています。

 

何を発信するべきか

 情報発信の最たる目的は公園利用者や住民の安全を確保することです。発信する内容は大きく2つに分けられます。まず一つは人身事故につながりかねない危険・緊急情報を迅速、かつ正確に発信することです。分かりやすい例を挙げると、緊急地震速報のようなものです。二つ目がルールやマナーといった普及啓発の発信です。

 

 

 

 この他にも2020年は特に不法投棄ゴミの回収に追われました。ゴミ投棄は餌付けにつながる行為でもあります。クマ渋滞、エサやりは毎年知床で起こっている問題であり、私たちが立ち向かわなければいけない課題です。

 

SNSの有用性

 SNSが普及する以前は、啓発チラシを施設や地域各所に掲示したり、ホームページのブログに投稿するだけに留まっていました。しかしここ数年で急速に普及したSNSをうまく活用することで、SNSユーザーを始点に、より多くの方に向けて知床で今起こっていること、私たちの思いや考えを直に届けることができるようになりました。

 クマ対策チームのtwitterとInstagramはそれぞれ2019年4月に開設されました。twitterのフォロワー数は、2019年10月で約2700、現在では約5300に伸びました。また、Instagramについては2019年10月で約760、現在では約1050のフォロワー数になりました。

 また、投稿に対するコメントから世の中の人がヒグマに対してどのような意識を持っているのか、どのように世論を醸成していくべきなのかを掴むきっかけにもなります。

 

(2021年7月22日現在)

 

知ることで防げることがある

 クマ対策には人身事故を防ぐための現地での対応、農業被害を防ぐための電気柵の設置など幅広くありますが、その一つに「ヒグマの正しい知識を普及すること」も重要な対策活動の一つとして位置付けられています。

 人とヒグマの軋轢をなくすためにはまずは私たち人間がヒグマのことを正しく理解し、「近づかない」「餌付けしない」「ゴミを捨てない」といった基本的なマナーやルールを遵守することです。クマ対策とはつまるところヒト対策であり、普及啓発により人の意識や行動を正しく導くことが軋轢軽減に繋がります。

 これまで知床では観光客とヒグマの人身事故は起こっていません。しかしSNSでの発信に力を入れている今も、人慣れしたヒグマが観光客の車に近づき手をかけたり、逆に人の方が路上に出没したヒグマを撮ろうと車から降りて近づくなど、いつ事故が起こってもおかしくない事例が減ることなく散見されています。これまで以上に人身事故を未然に防ぐための情報を正確かつ迅速に届けること、そしてルールやマナーの普及が求められます。

 知ることで、そして知らせることで防げることがあるという思いを胸に、これからもSNSツールを使った情報発信に力を入れていきたいと思います。

 

文 ー 田中優子 普及企画係

川から旅立つ野生の稚魚を数える

サケマス稚魚降下数調査 in 岩尾別

 海と川をつなぐシロザケやカラフトマスは、知床の生態系の循環の中で重要な役割を果たしています。これまでも海から戻ってくる魚の数やその魚がどれくらい川で産卵しているかについては調査が進められてきました。しかし、その後、それらの卵はしっかりふ化しているのか、産まれた稚魚はどうなっているのかなど、実はまだ明らかにはなっていませんでした。

 そこで、2020年より知床国立公園内の岩尾別川において、いったい「いつ」「どれくらいの数」の野生のサケやマスの稚魚が川から海へと下っているかを知るための調査を行っています。

 

岩尾別川はどんな川?

しれとこ100平方メートル運動地

 岩尾別川は、知床連山を源とする長さ約10キロの渓流河川です。全ての流域は世界遺産地域に含まれ、下流側は「しれとこ100平方メートル運動地」の中を流れています。河口の岩尾別ふ化場では、1930年代よりサケとマスのふ化放流事業が行われており、岩尾別川は世界遺産になるずっと前からサケを主体とした漁業を支える「さけ・ます増殖河川」として重要な役割を果たしています。

シロザケの成魚

 生息する魚は、カラフトマスとシロザケの他、イワナの仲間であるオショロコマ、一度は姿を消したものの現在100平方メートル運動で復元を進めているサクラマスの4種類が確認されています。今回の調査は、100平方メートル運動で進めている岩尾別川の河川環境改善に向けた取り組みの一環として実施しました。

 

どうやって調べるの?

特製の稚魚トラップ

 調査は4月上旬から6月中旬にかけて、週に1回のペースで実施しました。他の川での研究によると、サケやマスの稚魚は、春先の日没後または夜明け前の短い時間帯だけに海へと下っていくとされていることから、日の入り前の16時に現場入り、終わりは22時過ぎまでという調査を続けました。

 調査の方法は至ってシンプルです。稚魚が下るとされる17時から22時まで「稚魚トラップ」と呼ばれる間口が50センチ四方の網を二つ、1時間おきに計6回、それぞれ15分間川の中に仕掛け、その間に網の中に入った稚魚の種類と数を毎回記録していくというものです。

 サケやマスと言っても産まれたばかりの稚魚はわずか数センチ、網の中を覗いただけではいるのかいないのかも分かりません。仕掛けた網を回収した後は、枝葉など網に入っている全てのものを水槽にあけ、その中に稚魚がいるか丹念に探します。

 ヘッドライトを頭にこんな作業を毎週夜な夜な繰り返すうちに季節は進み、サクラは咲き、そして散り、10回目の調査を終えた頃には辺りの景色はすっかり初夏の様子となっていました。

※稚魚の採取については、「特別採捕許可」(北海道)を得て実施しています。なお、捕獲した稚魚は、記録した後、速やかに川に戻しています。

 

 

調査の結果

 調査データを分析した結果、2020年春の岩尾別川では、カラフトマス稚魚が約5千尾、シロザケ稚魚が約2万尾、川から海へ下っていったことが推定されました。降下のピークは、カラフトマスは4月上旬の1回、シロザケは4月下旬から増減しながら6月上旬にかまで続いていました。また、時間帯で見ると、稚魚はまだ日がある内はほとんどトラップには入らず、日没から1~2時間後にピークを迎え、その後また入らなくなる傾向があることも確認することができました。

 

調査を終えて

 これらの結果から、岩尾別川で稚魚が降下する時期や時間帯に関する特性は、想定通り、北海道内の他河川の先行研究の内容と概ね同じであることが示されました。

 ただし、岩尾別川のサケやマスが他の川と異なる点がひとつだけあります。それは、前の年に川を遡上した魚の数、すなわち親魚の実数がほぼ把握されていることです。岩尾別川のふ化場では遡上するサケやマスを捕獲していますが、ふ化場のご協力によりふ化場より上流にもサケやマスが上げられています。岩尾別川では、ふ化事業だけではなく、自然産卵の営みも保たれています。

 2019年度の遡上数は、カラフトマス934尾、シロザケが637尾でした。つまり、これが今回の調査で推定された稚魚の親の数ということになります。

 実際のところ、シロザケはふ化場での捕獲が終了する11月後半以降、さらに多くの魚が自然に遡上していくため+αはありますが、カラフトマスは、ほぼこの実数に近いであろうと推測されています。同様の調査を行った川で、ここまで具体的に前年の遡上数が把握されている事例は他にはありません。前述の親の数に対して海へと下って行った稚魚の数が多いのか少ないのかなど、詳しい分析を行うには1年間の結果だけでは語ることはできません。しかしどれくらいの数の稚魚が海に下っているのか、これまで全く不明だったものがおぼろげながら見えてきました。

 本稿では、川で産まれた稚魚を「野生」としています。すなわち、今回調べた稚魚の数は、岩尾別川が本来持つ自然の再生、循環の力を現す指標と言うこともできるかもしれません。岩尾別川では、世界遺産登録以降、魚の往来を妨げる計5基の河川工作物(ダムなど)が改良され、現在も数基の改良計画が進行しています。

 サケやマスにとってどんなに環境のよい場所であろうと、野生魚だけで現在の知床の漁業を支えることは不可能であり、今の知床にとってふ化場からの放流魚は必要不可欠です。

 そうした取り組みの中で、今回の調査が河川環境や自然産卵環境の改善の指標となり、知床本来の生態系の輪のひとつをひも解く一助になればと考えています。

文 ー 松林良太 保護管理係長

ルサ

ルサとはどのような場所か

 「ルサってどのような意味ですか」。施設でお客様によくたずねられる質問のひとつだ。ルサはアイヌ語で「ル・エ・シャニ」、道が・そこから・浜へ出ていく所が語源である。知床半島の主峰羅臼岳と半島先端部に位置する知床岳の間、海に至る2つの河川の広がりをあらわしている。標高1000mをこえる屏風のように海に突き出した知床で、ルサは標高240mの低い鞍部になっている。ここルサは、風が集まり吹き出す「風の通り道」であり、アイヌはこの川を東西に伝い、「道」として半島を行き来していたという。
 のちにルエシャニはルシャと名を変え、斜里側は「ルシャ」、羅臼側は「ルサ」となった。与えられた厳しい環境、この地に生きてきた人々の姿を示すその言葉を携え、ルサフィールドハウスは2009年に開館した。

役割は大きく2つ

①先端部への入り口
知床半島の核心部とされる「先端部地区」、整備された道のないエリアの深い魅力とその楽しみ方、安全管理や環境保全への対策や具体的な方法を紹介する。伝えることは難しい。現場に足を運び、レクチャーのリアリティは経験から導く。

②地域の人々の憩いの場
サケやマス、コンブなど、海に身を置き発展してきた町、羅臼。施設周辺はすべて番屋で夏期には家族総出の昆布漁が営まれている。親子や三世代で散歩がてらの寄り道もしばしばで町民が気やすく集う空間作りを心掛けている。

知床財団の「ルサ構想」とは?

 ルサフィールドハウスのあるルサ川河口周辺は、この知床の中でも特に自然の奥深さを感じてもらえる場所です。知床羅臼の豊かな海とそこに流れ込むルサ川は、人工的なダムのない自然河川で、カラフトマスやシロザケが遡上します。そして、ヒグマやシマフクロウが訪れ、冬にはオジロワシやオオワシが舞います。世界自然遺産地域の羅臼側の入口であり、先端部地区へのゲートでもあるルサを、バックカントリーを目指す人たちばかりでなく、一般の観光客にも是非訪れたいと思ってもらえるような、そして地元の人々にも愛される魅力的な場所にしていくためにはどうしたらいいのか。それを考えるのが、知床財団のルサ構想です。

 これまでのルサ構想では、担当者が語り合いながら何度も何度も絵を描きなおして、検討を重ね、また、職員でチームを作りそれぞれが今後のルサ構想を作成し、対戦形式で発表をしたこともあります。

 その構想の中には、ヒグマを観察できる施設の整備やキャンプ場の整備、ルサ│相泊間のシャトルバスの運行、カフェや夜間のイベントなどたくさんのアイディアが生まれていきました。

 

まずはできることから始めよう!

 このように知床財団内では未来のルサ像に思いを馳せ、様々な計画が語られてきたのですが、それらを具体化するのは行政側との調整も必要で、実現にはまだ時間がかかりそうです。そこで私たちができることから少しずつ取り組んでいくことになりました。

その1 ルサカフェ

 その第1弾が2015年から始めた「ルサカフェ」です。ルサ構想の計画を具現化していくためには、まず多くの人にとってこの場所が憩いの場所となってほしい。そんな思いでカフェがはじまりました。初年度は期間限定で年1回でしたが、翌年には年2回になり、昨年はついに夜間延長開館を行い「夜のルサカフェ」も実現しました。おいしいコーヒーと軽食やスイーツを提供し、回を重ねるごとに地域の方々にも楽しみにしていただけるようになってきました。

その2 森づくりとイベントの実施

 第2弾は「森づくり」です。ルサフィールドハウスの裏手の土地はルサ特有の冬の強風と増え過ぎたエゾシカの食害により稚樹が大きく育つことができないでいます。そこで自立式の防雪防風防鹿柵を設置し自然に生育している稚樹の成長を助ける、という事業を立ち上げました。知床財団自然復元係の全面協力を得て、2017年秋までに総延長約40メートルの柵を作りました。
 また、この柵の中の稚樹の生育を見守ろうと、町民向けのイベント「僕と私とルサの小さい木」を2017年10月に実施しました。参加者には各自「自分の木」を選んでいただき、その木をスケッチして今後どのように成長していくのかモニタリングするというものです。

羅臼町在住 辻中さんのルサへの思い

 ルサ川河口付近には、昔は灌木林と湿地があったんだ。そこを人間の都合で土砂捨て場として使ってしまった。でも、今思えばルサ川はものすごい貴重な川だったんだと思う。その場所が自然の力で再生していくための少しばかりのお手伝いができればと思い、そんな思いから森づくりの事業に寄付をしたんだ。
 ルサは今この時代に、自然と人間が一体になって、でも不自然さを感じない場所。世界遺産にもなった知床で人間も自然の一部であり、人の生活もその中で織りなされてきたということを多くの人に感じてもらえる、そんな場所になってほしいと思ってるよ。

これからのルサ

 まるで知床の魅力を凝縮したような地である「ルサ」には、これからも大きな可能性があります。ルサフィールドハウスを核とした構想を練り続けながら、同時に、私たちにできることを一つ一つ実行・継続していきたいと思っています。
 2017年、「僕と私とルサの小さい木」で子供たちと観察した稚樹は、まだまだ子供たちよりもずっと小さな木ばかりです。けれど数年後には子供たちと同じくらいに成長した「僕と私とルサの中くらいの木」を見るイベントを企画したいと思っています。そして彼らが大人になったころ、「僕と私とルサの大きい木」というイベントを彼らの子供たちと一緒にやってみたいという夢があります。
ここルサという場所でこれから取り組んでいく課題とこの小さな木たちの成長を地域のみんなで一緒に見守り実現して行くことが私たちの理想です。

文- 稲葉 可奈 羅臼地区事業係 / 坂部 皆子 羅臼地区事業係長

ふるさと少年探険隊に参加して

ふるさと少年探険隊は、羅臼町の子ども会育成協議会と羅臼町教育委員会、羅臼町公民館が主催の夏の一大イベントだ。参加する子どもたちは、難所や危険も存在する知床半島の羅臼側海岸を「自分の力で」踏破し、そこで生活する。対象は町内在住の小学4年生から中学3年生。モイルス湾に滞在し、さまざまな野外活動を行う「わんぱく隊」と、経験を重ねた6年生以上が知床岬をめざす「チャレンジ隊」の2コースがある。35回目を迎える歴史があり、大人も子どもも「本気」の5泊6日。
 参加スタッフは今回34名。地元漁師、消防職員、大学生、看護師などさまざまなスタッフが全国から集まり、探険隊を支える。いわば、子どもの教育に取り組む公と民がタッグを組む形で実施されている。2014年からは、知床財団も毎年メンバーに加わっている。近年、深刻さを増すヒグマ対策が探険隊でも重要なキーになりつつあり、こうした分野での情報や技能が私たちに期待される役割のひとつだ。また、社会教育、地域教育との連携は、私たちの活動を進める上では必須のテーマだ。

 

探険隊指導の原則

【3つの大原則】
❶手は出すな、しかし目を離すな!
❷失敗大歓迎、しかし助言は積極的に!
❸環境づくりは綿密に、しかし時には(質問されるまで)待つ姿勢を!
【7つの指導原則】
❶やってみせ、言って聞かせて、やらせてみて、結果が悪くてもほめてやる
❷自由と規律の明確な分離
❸スタッフの対応、指導方針の統一(例外はない)
❹師弟同行の原則
❺率先垂範
❻安全の見張り
❼性役割分担の排除

秋葉のモクロミ

知床半島は斜里と羅臼のふたつでひとつ。しかし、ウトロで働く私は、羅臼の人も自然もほとんどを知らなかった。「羅臼のことを知りたい」これが一番の参加動機だ。
 私の仕事の上でも羅臼は避けて通れない存在になりつつあった。世界遺産の核心地域である知床半島先端部地区の自然、歴史、文化をどのように守り、活用していくかが大きなテーマとして注目されてきたからだ。しかし、ここでも保全と利用は対立構造になりがちだ。
 地域の自然をどのように守るか、あるいは活用するか。これを最終的に決めてその責任を負うのは、そこで暮らす人々であると私は考えている。だからこそ、羅臼の人たちの率直な考えが知りたかった。長く続く探険隊には、羅臼の町の人々が考え、伝えるべき先端部地区のあり方が反映されているのではないかと考えた。

秋葉のシゴト

1週間限定の子ども達の“村”

 私の役割は「施設整備係」。いわばキャンプ地の環境整備や設営だ。滞在人数が最大60人を超えるモイルスは、一時的に村と化す。この村の安全と住環境を守るのが、私の役割だ。まずは、村へのクマの侵入を防ぐ電気柵の設営。キャンプ地と番屋を電気柵で囲う作業が、最初の仕事だった。ゴロタ浜での設営は足場が悪く骨が折れる。もうひとつは、風呂づくり・風呂焚きだ。海岸を整地し石をどけて湯船をつくり、川から水を引く。専用の薪ボイラー(これは必見!)に接続し、ひたすら湯を沸かす。女子のための目隠しは、みんなで近くのイタドリを集め、壁を作った。湯加減の調整、水道の管理、薪割、番頭などをこなし、立派な風呂屋としての技術を手に入れることができた。

涙のエピソード

 モイルスからの帰路には、ひとつ問題があった。どうしても隊列から離れてしまうS君の問題だ。彼は昨年、帰路でリタイアしている。今回は自分の力でゴールしたいという強い意思があった。そこで帰路は、私とS君とがペアで行動することになった。彼には能力がある。ただ、遅れがちになることでやる気が下がってしまうのだ。そこで作戦を立てた。私たちが最初に出発し、ゆっくり休まず連続して行動する。これは、登山の技術を応用したものだ。そして、疲れを意識しないよう、安全地帯では歌を歌い、しりとりなどのゲームもした。難所の前では休憩し、緊張感の持続できる時間で一気に通過した。彼は見事に歩き切り、仲間全員とゴールした。私は涙した。彼自身の頑張りと、自分が少しだけ彼の役に立てた気がしたからである。

秋葉の学び

 モイルスは、理想的な「社会」だった。協力して働き、教え合い、食べ、歌って毎日を過ごす。この社会は小さく単純だが、それゆえに気づきにあふれていた。私はこの体験を通じて「人を育てること、教育の意味」を教えられた気がする。探険隊に参加していた時、私の妻のお腹には間もなく生まれてくる子どもがいた。私に子どもを育てることができるのか懐疑的であったが、この体験を通じてちょっとだけ自信がついた。少なくとも、教育とは一方通行の知識や技能の伝達ではない。むしろ相互に教えあい、成長するのが教育の意味ではないのか。教えたり伝えたりしたこと以上に、多くのことを私が子どもから学んだ。愛とはなにか、喜びとはなにか、伝えるとはなにか、これらを私に教えてくれたのは、羅臼の子どもたちである。最終日にS君と相泊にゴールした時、少しだけ父親になる資格を得たような気がした。

探険隊に参加して

 探険隊を通じて少しは羅臼のことを知れたのだろうか。かけがえのない仲間や尊敬すべき人たちと出会えたことは第一の収穫だ。探険隊は、覚悟をもったかっこいい大人たちに支えられている。地域とは人だ。人がいるから自然が輝き、意味を持つ。仲間との繋がりが続く限り、私は羅臼と関わることができる。知床財団も地域のイベントに参加することで、地域からより多くを学び地域からより信頼される団体へと成長していく。
 先端部の保全と利用のあり方についてもヒントがあった。羅臼の人たちは、自然やそこに暮らす生き物たちを保護の名のもとに囲い込み、不可触なものとはしない。むしろ、生活や営みのためにその資源を積極的に活用している。しかし、その利用・活用のしかたは、フェアで謙虚だ。自然の厳しさ、恐ろしさそのものを取り除いたり、支配したりすることはせず、ありのままを受入れ、それを人の知恵と覚悟で乗り越えていく術を伝える。これは、探険隊のプログラムそのものだ。30年を超える探険隊の歴史は、こうした考えを次世代に継承する役割を担っている。参加者だった子どもが大人になり、スタッフとして参加し続けていることは、その証拠だろう。探険隊が探険隊らしく継続できる人とフィールドがある限り、知床の先端部らしさが失われることはないだろう。

文‐ 秋葉圭太 公園事業係長 

森づくりの現場から~しれとこ100平方メートル運動の40年~

 2017年、「しれとこ100平方メートル運動」は、40年の節目を迎えました。1977年、「しれとこで夢を買いませんか!」の呼び掛けとともに始まった知床の自然を守るこの運動は、多くの方々に支えられ今も続いています。今回は、この100平方メートル運動の歩み、そしてその現場を担う私たち知床財団の活動をお伝えします。

100平方メートル運動って何?

 斜里町主催のナショナル・トラスト運動。1977年、知床の開拓跡地を乱開発から守るため、一口8000円の寄付を全国に呼び掛けました。その後、20年間で4万9千件、約5億2千万円の寄付が寄せられ開拓跡地の買い取りが完了したのです。その対象地(約860ヘクタール)は、100平方メートル運動地(以下、運動地)として永久に保全することを条例に定めています。
 1997年、運動の第2ステージ「100平方メートル運動の森・トラスト」として、買い取った土地にかつてあった森と生き物の営みを再生する取り組みを始め、今も続いています。

開拓から運動へ~しれとこ100平方メートル運動~

 知床の幌別・岩尾別地区では、大正から戦後にかけて開拓が進められ、多くの人々が畑作や酪農を営む生活を送っていました。しかし、1960年代に入ると開拓政策や社会情勢の変化とともに人々は次々とこの地を離れ、人のいない土地だけが残りました。同じ頃、当時日本各地でブームとなっていたリゾート開発や土地投機の波は知床にも押し寄せ、開拓跡地も乱開発の危機にさらされ始めたのです。
 その開発の危機から知床の土地を守ろうと、当時の斜里町長が声を上げて始まったのが「しれとこ100平方メートル運動」です。1977年にスタートした100平方メートル運動は、その後多くの方々の支援を受け運動開始から20年間で開拓跡地の買い取りをほぼ完了し、知床の土地を乱開発から守るというひとつの目的を達成したのです。

「守る」から「育てる」へ~100平方メートル運動の森・トラスト~

 1997年、100平方メートル運動は、新たな展開「100平方メートル運動の森・トラスト」へとその歩みを進めました。それは、開拓跡地にかつてあった自然を再生する取り組みです。運動開始当時から、買い取った土地にはシラカンバやアカエゾマツなどの植林を続けてきましたが、新たな運動では、知床にもともとある多様で豊かな生態系を取り戻す方向へと本格的に舵を切ったのです。
 「森林再生」「生物相復元」「運動地公開・交流事業」を3本の柱に掲げ、新たな歩みを進める中では、高密度に生息するエゾシカの存在やダムなどの工作物がある河川環境など、多くの課題にも直面していました。一方、途中には知床の世界自然遺産登録という大きな節目もありました。
 ここからは、試行錯誤を繰り返しながらも数百年先の未来を目指し歩んできた運動後半の20年間を振り返ります。

 

土地の買い取り完了から20年、進めてきたこと

森林再生

 新しい運動の大きな柱のひとつが森林再生、いわゆる「森づくり」です。しかし、この20年間はエゾシカとの戦いといっても過言ではありませんでした。シカの樹皮食いを防ぐネットを約800本の木々に巻き付け、設置した防鹿柵は大小20基にもなります。ボランティアの方々の協力を得て植えた柵の中の苗木は着実にその背を伸ばし、5年、10年という歳月を経た現在では、見た目にもその成果が見て取れます。
 一方、2005年の世界自然遺産登録以降、運動地を含む知床各地では、植生回復を目的としたシカの数を減らす取り組みが進められてきました。その結果、柵に囲まれていない場所でも小さな木々や草花を目にすることも多くなり、課題のひとつであったシカの影響が徐々に減り始めている様子が見て取れるようになったのです。
 本格的な森づくり開始から20年、ようやくネットや柵に頼らない本当の森づくりのスタートラインが見えてきました。

 

生物相復元

 運動の中では、生き物の営みを再生する取り組みも進めています。その最初の試みが、運動地を流れる川にかつて生息していたサクラマスを復元することです。1999年から現在まで、一時の中断期間をはさみ、対象河川の岩尾別川に年1回卵の放流を継続してきました。その間に、岩尾別川ではダムの改修が進み、河川全体の環境の改善が見られるようになりました。その結果、サクラマス遡上状況調査では、回帰したサクラマスの数が2017年に初めて10尾を超えたことが確認されました。今後もまだまだ経過を観察する必要はありますが、十数年の年月を経て、それまで低調に推移してきた段階から一歩前進し、ようやくサクラマスの復元に一筋の光が見え始めてきたところです。
 海と森をつなぐ川は、そこに暮らす魚だけではなく、その魚をエサとするシマフクロウやオジロワシなど多くの生き物にとって重要な環境です。
 今後もサクラマスなどの魚を中心に川の環境と生き物の営みを再生する取り組みを進めていきます。

 

運動地公開・交流事業

 この知床の取り組みを「伝える」こと、それも運動開始当初から続けている大きな柱のひとつです。子どもたちを対象とした知床自然教室を毎年夏に開催しているほか、秋の植樹祭や森づくりワークキャンプ、そして知床自然センターを訪れる方々へのレクチャーなどを通じて、たくさんの人たちに運動そのものや活動について伝え続けてきました。
 また、開拓の歴史、運動の成果と現状をお伝えするため、2014年からは「しれとこ森づくりの道」と名付けた運動地を実際に歩く公開コースの開設と運営を行っています。
 100年200年先を見すえたこの運動は、人ひとりの一生では終わるものではありません。知床の自然と100平方メートル運動を次世代に引き継いでいくこと、それが私たちの役割です。

 

これから

 100平方メートル運動についてお話をする時、決まって「100年先」「200年先」といった言葉を口にしています。しかし、そう言ってはいるものの、自分自身も聞いてくださっている皆さんも、実際にその時を見届けるのは難しいでしょう。
 人にとっては長い時間も、森や自然にとってはおそらくわずかな時間でしかありません。例えば、防鹿柵の中あるいは最近では柵の外でも小さな木々が1年2年と育っているのを見ると、小さな時間が積み重なりそれが遠い未来につながっているのだ、と実感する時があります。一方で、昨日まであったはずの樹齢百年は優に超えているだろう大木が、強い風が吹いた後にその幹を横たえているのを目にすると、今見えているこの風景も実は瞬間的なものでしかないのだと感じることもあったりします。
 知床に開拓の鍬が入り100年、そして100平方メートル運動が始まり40年が過ぎた今、確実に人の歩みも進んでいます。私自身も小学生の時分に初めて知床自然教室に参加し30数年、その後森づくりに携わり始めて10数年が経ちました。その間に子どもも産まれ、自分や家族、そして森の変化を見ていると、もしかしたら100年ぐらいはそんなに長い時間ではないのかもしれないと、時間のとらえ方が少し変わり始めてもきています。
 人ひとりができることはわずかですが、世代を超えて関わり続けていくこと、それが人のできるいちばん大きな力なのかもしれません。今知床の森が守られ私たちがここにいるのも、この運動を立ち上げ続けてきた諸先輩方、そして何より運動を支えていただいた参加者やボランティアなど多くの方々がいたからこそだと感じています。これからも、ひとつひとつを積み重ね、人の輪を広げていく、そんな取り組みをこの知床で続けていくことが100年先、200年先の未来の森につながるはずだと思っています。

(執筆:自然復元係長 松林良太)