知床Express

ルサ

ルサとはどのような場所か

 「ルサってどのような意味ですか」。施設でお客様によくたずねられる質問のひとつだ。ルサはアイヌ語で「ル・エ・シャニ」、道が・そこから・浜へ出ていく所が語源である。知床半島の主峰羅臼岳と半島先端部に位置する知床岳の間、海に至る2つの河川の広がりをあらわしている。標高1000mをこえる屏風のように海に突き出した知床で、ルサは標高240mの低い鞍部になっている。ここルサは、風が集まり吹き出す「風の通り道」であり、アイヌはこの川を東西に伝い、「道」として半島を行き来していたという。
 のちにルエシャニはルシャと名を変え、斜里側は「ルシャ」、羅臼側は「ルサ」となった。与えられた厳しい環境、この地に生きてきた人々の姿を示すその言葉を携え、ルサフィールドハウスは2009年に開館した。

役割は大きく2つ

①先端部への入り口
知床半島の核心部とされる「先端部地区」、整備された道のないエリアの深い魅力とその楽しみ方、安全管理や環境保全への対策や具体的な方法を紹介する。伝えることは難しい。現場に足を運び、レクチャーのリアリティは経験から導く。

②地域の人々の憩いの場
サケやマス、コンブなど、海に身を置き発展してきた町、羅臼。施設周辺はすべて番屋で夏期には家族総出の昆布漁が営まれている。親子や三世代で散歩がてらの寄り道もしばしばで町民が気やすく集う空間作りを心掛けている。

知床財団の「ルサ構想」とは?

 ルサフィールドハウスのあるルサ川河口周辺は、この知床の中でも特に自然の奥深さを感じてもらえる場所です。知床羅臼の豊かな海とそこに流れ込むルサ川は、人工的なダムのない自然河川で、カラフトマスやシロザケが遡上します。そして、ヒグマやシマフクロウが訪れ、冬にはオジロワシやオオワシが舞います。世界自然遺産地域の羅臼側の入口であり、先端部地区へのゲートでもあるルサを、バックカントリーを目指す人たちばかりでなく、一般の観光客にも是非訪れたいと思ってもらえるような、そして地元の人々にも愛される魅力的な場所にしていくためにはどうしたらいいのか。それを考えるのが、知床財団のルサ構想です。

 これまでのルサ構想では、担当者が語り合いながら何度も何度も絵を描きなおして、検討を重ね、また、職員でチームを作りそれぞれが今後のルサ構想を作成し、対戦形式で発表をしたこともあります。

 その構想の中には、ヒグマを観察できる施設の整備やキャンプ場の整備、ルサ│相泊間のシャトルバスの運行、カフェや夜間のイベントなどたくさんのアイディアが生まれていきました。

 

まずはできることから始めよう!

 このように知床財団内では未来のルサ像に思いを馳せ、様々な計画が語られてきたのですが、それらを具体化するのは行政側との調整も必要で、実現にはまだ時間がかかりそうです。そこで私たちができることから少しずつ取り組んでいくことになりました。

その1 ルサカフェ

 その第1弾が2015年から始めた「ルサカフェ」です。ルサ構想の計画を具現化していくためには、まず多くの人にとってこの場所が憩いの場所となってほしい。そんな思いでカフェがはじまりました。初年度は期間限定で年1回でしたが、翌年には年2回になり、昨年はついに夜間延長開館を行い「夜のルサカフェ」も実現しました。おいしいコーヒーと軽食やスイーツを提供し、回を重ねるごとに地域の方々にも楽しみにしていただけるようになってきました。

その2 森づくりとイベントの実施

 第2弾は「森づくり」です。ルサフィールドハウスの裏手の土地はルサ特有の冬の強風と増え過ぎたエゾシカの食害により稚樹が大きく育つことができないでいます。そこで自立式の防雪防風防鹿柵を設置し自然に生育している稚樹の成長を助ける、という事業を立ち上げました。知床財団自然復元係の全面協力を得て、2017年秋までに総延長約40メートルの柵を作りました。
 また、この柵の中の稚樹の生育を見守ろうと、町民向けのイベント「僕と私とルサの小さい木」を2017年10月に実施しました。参加者には各自「自分の木」を選んでいただき、その木をスケッチして今後どのように成長していくのかモニタリングするというものです。

羅臼町在住 辻中さんのルサへの思い

 ルサ川河口付近には、昔は灌木林と湿地があったんだ。そこを人間の都合で土砂捨て場として使ってしまった。でも、今思えばルサ川はものすごい貴重な川だったんだと思う。その場所が自然の力で再生していくための少しばかりのお手伝いができればと思い、そんな思いから森づくりの事業に寄付をしたんだ。
 ルサは今この時代に、自然と人間が一体になって、でも不自然さを感じない場所。世界遺産にもなった知床で人間も自然の一部であり、人の生活もその中で織りなされてきたということを多くの人に感じてもらえる、そんな場所になってほしいと思ってるよ。

これからのルサ

 まるで知床の魅力を凝縮したような地である「ルサ」には、これからも大きな可能性があります。ルサフィールドハウスを核とした構想を練り続けながら、同時に、私たちにできることを一つ一つ実行・継続していきたいと思っています。
 2017年、「僕と私とルサの小さい木」で子供たちと観察した稚樹は、まだまだ子供たちよりもずっと小さな木ばかりです。けれど数年後には子供たちと同じくらいに成長した「僕と私とルサの中くらいの木」を見るイベントを企画したいと思っています。そして彼らが大人になったころ、「僕と私とルサの大きい木」というイベントを彼らの子供たちと一緒にやってみたいという夢があります。
ここルサという場所でこれから取り組んでいく課題とこの小さな木たちの成長を地域のみんなで一緒に見守り実現して行くことが私たちの理想です。

文- 稲葉 可奈 羅臼地区事業係 / 坂部 皆子 羅臼地区事業係長

ふるさと少年探険隊に参加して

ふるさと少年探険隊は、羅臼町の子ども会育成協議会と羅臼町教育委員会、羅臼町公民館が主催の夏の一大イベントだ。参加する子どもたちは、難所や危険も存在する知床半島の羅臼側海岸を「自分の力で」踏破し、そこで生活する。対象は町内在住の小学4年生から中学3年生。モイルス湾に滞在し、さまざまな野外活動を行う「わんぱく隊」と、経験を重ねた6年生以上が知床岬をめざす「チャレンジ隊」の2コースがある。35回目を迎える歴史があり、大人も子どもも「本気」の5泊6日。
 参加スタッフは今回34名。地元漁師、消防職員、大学生、看護師などさまざまなスタッフが全国から集まり、探険隊を支える。いわば、子どもの教育に取り組む公と民がタッグを組む形で実施されている。2014年からは、知床財団も毎年メンバーに加わっている。近年、深刻さを増すヒグマ対策が探険隊でも重要なキーになりつつあり、こうした分野での情報や技能が私たちに期待される役割のひとつだ。また、社会教育、地域教育との連携は、私たちの活動を進める上では必須のテーマだ。

 

探険隊指導の原則

【3つの大原則】
❶手は出すな、しかし目を離すな!
❷失敗大歓迎、しかし助言は積極的に!
❸環境づくりは綿密に、しかし時には(質問されるまで)待つ姿勢を!
【7つの指導原則】
❶やってみせ、言って聞かせて、やらせてみて、結果が悪くてもほめてやる
❷自由と規律の明確な分離
❸スタッフの対応、指導方針の統一(例外はない)
❹師弟同行の原則
❺率先垂範
❻安全の見張り
❼性役割分担の排除

秋葉のモクロミ

知床半島は斜里と羅臼のふたつでひとつ。しかし、ウトロで働く私は、羅臼の人も自然もほとんどを知らなかった。「羅臼のことを知りたい」これが一番の参加動機だ。
 私の仕事の上でも羅臼は避けて通れない存在になりつつあった。世界遺産の核心地域である知床半島先端部地区の自然、歴史、文化をどのように守り、活用していくかが大きなテーマとして注目されてきたからだ。しかし、ここでも保全と利用は対立構造になりがちだ。
 地域の自然をどのように守るか、あるいは活用するか。これを最終的に決めてその責任を負うのは、そこで暮らす人々であると私は考えている。だからこそ、羅臼の人たちの率直な考えが知りたかった。長く続く探険隊には、羅臼の町の人々が考え、伝えるべき先端部地区のあり方が反映されているのではないかと考えた。

秋葉のシゴト

1週間限定の子ども達の“村”

 私の役割は「施設整備係」。いわばキャンプ地の環境整備や設営だ。滞在人数が最大60人を超えるモイルスは、一時的に村と化す。この村の安全と住環境を守るのが、私の役割だ。まずは、村へのクマの侵入を防ぐ電気柵の設営。キャンプ地と番屋を電気柵で囲う作業が、最初の仕事だった。ゴロタ浜での設営は足場が悪く骨が折れる。もうひとつは、風呂づくり・風呂焚きだ。海岸を整地し石をどけて湯船をつくり、川から水を引く。専用の薪ボイラー(これは必見!)に接続し、ひたすら湯を沸かす。女子のための目隠しは、みんなで近くのイタドリを集め、壁を作った。湯加減の調整、水道の管理、薪割、番頭などをこなし、立派な風呂屋としての技術を手に入れることができた。

涙のエピソード

 モイルスからの帰路には、ひとつ問題があった。どうしても隊列から離れてしまうS君の問題だ。彼は昨年、帰路でリタイアしている。今回は自分の力でゴールしたいという強い意思があった。そこで帰路は、私とS君とがペアで行動することになった。彼には能力がある。ただ、遅れがちになることでやる気が下がってしまうのだ。そこで作戦を立てた。私たちが最初に出発し、ゆっくり休まず連続して行動する。これは、登山の技術を応用したものだ。そして、疲れを意識しないよう、安全地帯では歌を歌い、しりとりなどのゲームもした。難所の前では休憩し、緊張感の持続できる時間で一気に通過した。彼は見事に歩き切り、仲間全員とゴールした。私は涙した。彼自身の頑張りと、自分が少しだけ彼の役に立てた気がしたからである。

秋葉の学び

 モイルスは、理想的な「社会」だった。協力して働き、教え合い、食べ、歌って毎日を過ごす。この社会は小さく単純だが、それゆえに気づきにあふれていた。私はこの体験を通じて「人を育てること、教育の意味」を教えられた気がする。探険隊に参加していた時、私の妻のお腹には間もなく生まれてくる子どもがいた。私に子どもを育てることができるのか懐疑的であったが、この体験を通じてちょっとだけ自信がついた。少なくとも、教育とは一方通行の知識や技能の伝達ではない。むしろ相互に教えあい、成長するのが教育の意味ではないのか。教えたり伝えたりしたこと以上に、多くのことを私が子どもから学んだ。愛とはなにか、喜びとはなにか、伝えるとはなにか、これらを私に教えてくれたのは、羅臼の子どもたちである。最終日にS君と相泊にゴールした時、少しだけ父親になる資格を得たような気がした。

探険隊に参加して

 探険隊を通じて少しは羅臼のことを知れたのだろうか。かけがえのない仲間や尊敬すべき人たちと出会えたことは第一の収穫だ。探険隊は、覚悟をもったかっこいい大人たちに支えられている。地域とは人だ。人がいるから自然が輝き、意味を持つ。仲間との繋がりが続く限り、私は羅臼と関わることができる。知床財団も地域のイベントに参加することで、地域からより多くを学び地域からより信頼される団体へと成長していく。
 先端部の保全と利用のあり方についてもヒントがあった。羅臼の人たちは、自然やそこに暮らす生き物たちを保護の名のもとに囲い込み、不可触なものとはしない。むしろ、生活や営みのためにその資源を積極的に活用している。しかし、その利用・活用のしかたは、フェアで謙虚だ。自然の厳しさ、恐ろしさそのものを取り除いたり、支配したりすることはせず、ありのままを受入れ、それを人の知恵と覚悟で乗り越えていく術を伝える。これは、探険隊のプログラムそのものだ。30年を超える探険隊の歴史は、こうした考えを次世代に継承する役割を担っている。参加者だった子どもが大人になり、スタッフとして参加し続けていることは、その証拠だろう。探険隊が探険隊らしく継続できる人とフィールドがある限り、知床の先端部らしさが失われることはないだろう。

文‐ 秋葉圭太 公園事業係長 

森づくりの現場から~しれとこ100平方メートル運動の40年~

 2017年、「しれとこ100平方メートル運動」は、40年の節目を迎えました。1977年、「しれとこで夢を買いませんか!」の呼び掛けとともに始まった知床の自然を守るこの運動は、多くの方々に支えられ今も続いています。今回は、この100平方メートル運動の歩み、そしてその現場を担う私たち知床財団の活動をお伝えします。

100平方メートル運動って何?

 斜里町主催のナショナル・トラスト運動。1977年、知床の開拓跡地を乱開発から守るため、一口8000円の寄付を全国に呼び掛けました。その後、20年間で4万9千件、約5億2千万円の寄付が寄せられ開拓跡地の買い取りが完了したのです。その対象地(約860ヘクタール)は、100平方メートル運動地(以下、運動地)として永久に保全することを条例に定めています。
 1997年、運動の第2ステージ「100平方メートル運動の森・トラスト」として、買い取った土地にかつてあった森と生き物の営みを再生する取り組みを始め、今も続いています。

開拓から運動へ~しれとこ100平方メートル運動~

 知床の幌別・岩尾別地区では、大正から戦後にかけて開拓が進められ、多くの人々が畑作や酪農を営む生活を送っていました。しかし、1960年代に入ると開拓政策や社会情勢の変化とともに人々は次々とこの地を離れ、人のいない土地だけが残りました。同じ頃、当時日本各地でブームとなっていたリゾート開発や土地投機の波は知床にも押し寄せ、開拓跡地も乱開発の危機にさらされ始めたのです。
 その開発の危機から知床の土地を守ろうと、当時の斜里町長が声を上げて始まったのが「しれとこ100平方メートル運動」です。1977年にスタートした100平方メートル運動は、その後多くの方々の支援を受け運動開始から20年間で開拓跡地の買い取りをほぼ完了し、知床の土地を乱開発から守るというひとつの目的を達成したのです。

「守る」から「育てる」へ~100平方メートル運動の森・トラスト~

 1997年、100平方メートル運動は、新たな展開「100平方メートル運動の森・トラスト」へとその歩みを進めました。それは、開拓跡地にかつてあった自然を再生する取り組みです。運動開始当時から、買い取った土地にはシラカンバやアカエゾマツなどの植林を続けてきましたが、新たな運動では、知床にもともとある多様で豊かな生態系を取り戻す方向へと本格的に舵を切ったのです。
 「森林再生」「生物相復元」「運動地公開・交流事業」を3本の柱に掲げ、新たな歩みを進める中では、高密度に生息するエゾシカの存在やダムなどの工作物がある河川環境など、多くの課題にも直面していました。一方、途中には知床の世界自然遺産登録という大きな節目もありました。
 ここからは、試行錯誤を繰り返しながらも数百年先の未来を目指し歩んできた運動後半の20年間を振り返ります。

 

土地の買い取り完了から20年、進めてきたこと

森林再生

 新しい運動の大きな柱のひとつが森林再生、いわゆる「森づくり」です。しかし、この20年間はエゾシカとの戦いといっても過言ではありませんでした。シカの樹皮食いを防ぐネットを約800本の木々に巻き付け、設置した防鹿柵は大小20基にもなります。ボランティアの方々の協力を得て植えた柵の中の苗木は着実にその背を伸ばし、5年、10年という歳月を経た現在では、見た目にもその成果が見て取れます。
 一方、2005年の世界自然遺産登録以降、運動地を含む知床各地では、植生回復を目的としたシカの数を減らす取り組みが進められてきました。その結果、柵に囲まれていない場所でも小さな木々や草花を目にすることも多くなり、課題のひとつであったシカの影響が徐々に減り始めている様子が見て取れるようになったのです。
 本格的な森づくり開始から20年、ようやくネットや柵に頼らない本当の森づくりのスタートラインが見えてきました。

 

生物相復元

 運動の中では、生き物の営みを再生する取り組みも進めています。その最初の試みが、運動地を流れる川にかつて生息していたサクラマスを復元することです。1999年から現在まで、一時の中断期間をはさみ、対象河川の岩尾別川に年1回卵の放流を継続してきました。その間に、岩尾別川ではダムの改修が進み、河川全体の環境の改善が見られるようになりました。その結果、サクラマス遡上状況調査では、回帰したサクラマスの数が2017年に初めて10尾を超えたことが確認されました。今後もまだまだ経過を観察する必要はありますが、十数年の年月を経て、それまで低調に推移してきた段階から一歩前進し、ようやくサクラマスの復元に一筋の光が見え始めてきたところです。
 海と森をつなぐ川は、そこに暮らす魚だけではなく、その魚をエサとするシマフクロウやオジロワシなど多くの生き物にとって重要な環境です。
 今後もサクラマスなどの魚を中心に川の環境と生き物の営みを再生する取り組みを進めていきます。

 

運動地公開・交流事業

 この知床の取り組みを「伝える」こと、それも運動開始当初から続けている大きな柱のひとつです。子どもたちを対象とした知床自然教室を毎年夏に開催しているほか、秋の植樹祭や森づくりワークキャンプ、そして知床自然センターを訪れる方々へのレクチャーなどを通じて、たくさんの人たちに運動そのものや活動について伝え続けてきました。
 また、開拓の歴史、運動の成果と現状をお伝えするため、2014年からは「しれとこ森づくりの道」と名付けた運動地を実際に歩く公開コースの開設と運営を行っています。
 100年200年先を見すえたこの運動は、人ひとりの一生では終わるものではありません。知床の自然と100平方メートル運動を次世代に引き継いでいくこと、それが私たちの役割です。

 

これから

 100平方メートル運動についてお話をする時、決まって「100年先」「200年先」といった言葉を口にしています。しかし、そう言ってはいるものの、自分自身も聞いてくださっている皆さんも、実際にその時を見届けるのは難しいでしょう。
 人にとっては長い時間も、森や自然にとってはおそらくわずかな時間でしかありません。例えば、防鹿柵の中あるいは最近では柵の外でも小さな木々が1年2年と育っているのを見ると、小さな時間が積み重なりそれが遠い未来につながっているのだ、と実感する時があります。一方で、昨日まであったはずの樹齢百年は優に超えているだろう大木が、強い風が吹いた後にその幹を横たえているのを目にすると、今見えているこの風景も実は瞬間的なものでしかないのだと感じることもあったりします。
 知床に開拓の鍬が入り100年、そして100平方メートル運動が始まり40年が過ぎた今、確実に人の歩みも進んでいます。私自身も小学生の時分に初めて知床自然教室に参加し30数年、その後森づくりに携わり始めて10数年が経ちました。その間に子どもも産まれ、自分や家族、そして森の変化を見ていると、もしかしたら100年ぐらいはそんなに長い時間ではないのかもしれないと、時間のとらえ方が少し変わり始めてもきています。
 人ひとりができることはわずかですが、世代を超えて関わり続けていくこと、それが人のできるいちばん大きな力なのかもしれません。今知床の森が守られ私たちがここにいるのも、この運動を立ち上げ続けてきた諸先輩方、そして何より運動を支えていただいた参加者やボランティアなど多くの方々がいたからこそだと感じています。これからも、ひとつひとつを積み重ね、人の輪を広げていく、そんな取り組みをこの知床で続けていくことが100年先、200年先の未来の森につながるはずだと思っています。

(執筆:自然復元係長 松林良太)

旅人に何を伝えるか~私たちが考える情報発信~

 外国人旅行者の話題でにぎわう昨今ですが、知床にも外国からの旅人が増えてきました。
日本人のみならず様々な国の旅人に知床を楽しんでいただくことは、世界遺産の本分でもあり、大いに歓迎すべきことです。

 一方、外国からの旅人を迎えるにあたり、現場には2つの課題があります。ひとつは、環境保全上の各種ルールをいかに正確に伝え、遵守に導くかという点。そしてもう一つは、知床の本質に出会う体験の提案ができるか、という点です。この2つの課題は日本人に対しても共通しますが、国籍に関わらず知床を訪れる多くの人たちに知床の真の価値を存分に味わってもらうため、世界各地を旅している外国の方の視点に立って、世界にも通用する情報発信の仕組みを構築する必要があります。

 そこで私たちは、手始めに国立公園の利用情報を一元的に発信する「知床情報玉手箱」サイトと、バックカントリーを楽しむ方向けの「知床連山エリアマップ」作りに取り組みました。

知床情報玉手箱

 

「知床情報玉手箱」とは?

 知床には、来訪者が「現地に到着後にほしい情報」が網羅されている媒体がありませんでした。例えば、知床では天候状況やヒグマの出没などにより、道路や散策路は意外とよく閉鎖されることがあります。また、季節によって道路や施設などの開閉時刻が様々です。

 そこで、次のような情報をひとつのウェブサイトに集約し、リアルタイム情報を更新、提供するために立ち上げたのが「知床情報玉手箱」です。

 

どんな点にこだわったか?

①見やすさ、わかりやすさを追求
ピクトグラムや〇×表示など、見た目で読み取れるようなサイトにしました。更新日時を項目ごとに表示しているほか、サイトデザインは見やすさを追求するため、極力シンプルにしました。また、移動しながら情報収集することを想定してサイトはもちろんスマホ対応済み、言語は日英2か国語です。

②ウトロ・羅臼両地域の情報を網羅
知床半島は東西で行政区域が羅臼町と斜里町に分かれていますが、知床を訪れた旅人にとって行政区域の違いは関係ありません。両側に常駐スタッフを配置して情報提供に携わる組織は数少なく、知床財団は両町をまたいだ唯一の組織と言えます。そこで組織の特性を活かし、半島の東西を一つにまとめた情報サイトの構築を目指しました。

③様々な施設で使ってもらえるページを作成
知床にある宿泊施設や飲食店、観光案内所などに設置してあるモニターで映し出せる専用ページを作成しました。これは、旅人だけではなく、旅人を受け入れる人たちに情報玉手箱を知床の案内ツールとして有効活用してもらいたいという意図からきたものです。

 

情報玉手箱が抱える課題と目指すもの

 道路の開閉状況や船の運航情報、ヒグマの出没状況など知床の現場の一次情報は、それぞれを管轄する組織が持っています。その発信方法は様々で、ファックスで発信するところもあれば、メールで送信するところ、はたまた全て電話対応をしているところもあります。情報玉手箱は現在、これら各々から発信されたものを知床財団が受け取り、サイト上で更新しています。
 この散在した一次情報発信の形態が将来的には、すべて情報玉手箱での発信に集約できれば、案内者はあちこち情報発信せずに済み、また、来訪者は情報の収集先が一箇所で済みます。

 そして、この知床情報玉手箱というツールを通じて、来訪者をもてなす案内者に一体感が生まれ、良質でスピーディな情報を一元的に提供する仕組みを作り上げることが私たちの理想です。

 

知床連山エリアMAP

山に精通した地元目線を加えて

 このマップは、花や鳥などよくある自然情報はいっさい取り除き、私たちが伝えたいルールやリスク回避のための情報提供に注力し、さらに地元目線が加わった実用性ある登山マップを目指しました。製作に際し、長年知床の山を登っている斜里・羅臼両町の山岳会や地域の関係機関に多大なご協力をいただき、特にトレイル上の危険箇所やグレード付けに関しては、とても貴重なご意見をいただくことができました。
 現在は、私たちの活動拠点である知床自然センターや羅臼ビジターセンターのみならず、町内のホテルや民宿、観光案内所などでも販売していただいております。

 

マップ作りの3本柱

①事故防止
登山には滑落事故など遭難のリスクがつきものです。知床も例に漏れず、これまでも年に数回、山の事故が起こっていました。その度に登山道整備の対策も取られていましたが、山を登る方に事前にしっかりリスクを認識していただくよう、地元山岳会協力のもと、危険箇所の情報提供には特に注力しました。

②知床ルールの普及
ヒグマが暮らす山における野営地での食べ物の管理、ヒグマ対策用スプレーのレンタル、携帯トイレの持参必須など、知床には知床ならではのルールとマナーがあります。このマップにそれらを掲載し、フィールドで実践してもらうことで、訪れた人により知床らしい体験をしてもらい、楽しんでもらえるよう留意しました。

③外国人対応
知床の山を目指して海外からやってくる人も年々増えていると感じます。しかし、英語表記された知床の登山マップは実は今までありませんでした。そこで、日々カウンターで知床の自然について案内業務を行っている職員の意見も取り入れながら、日本語と英語が表裏一体になっている仕様にしました。

 

旅人たちの冒険のために

 知床情報玉手箱や、知床連山エリアマップを具体的に作成し、情報発信の仕組みを模索する中で、私たちの考えが深まった点があります。それは「冒険する自由を尊重する」という視点です。
 例えば、ある山の登山が危ないか危なくないかは、登る人個人の技術次第ですが、それぞれの技術を測り知ることは難しいので、一律で「危ない」という案内になりがちです。

 一方、どんな形でも自然の中に入れば、ヒグマやハチ、悪天候や道迷いなど、多かれ少なかれ「危険」と向き合うことになります。そしてそこでは、救急車や警察など日常における安全装置は使えず、自分自身で様々な状況に対処することになります。知床の豊かな自然は当然ながら危険も含んでいるので、そこに踏み出す「冒険」なしには、その本質に触れるチャンスはそう多くはありません。冒険のレベルは人によって違い、整備された遊歩道を歩くことも冒険でありうるでしょう。どんなレベルであっても、自己の責任において冒険する者にこそ、自然を楽しむ自由が与えられるべきだと考えます。
 今日も知床には多くの旅人が訪れます。一見準備不足な若者が、羅臼岳の登り方を聞いてくることもあります。とても心配ですが、私たちは安全に最大の関心を払いつつも、彼らが冒険する自由も尊重したいと考えています。その時私たちが手渡す情報は「危ないからやめて」といった単なる抑制ではなく「こういったリスクがあり、そのためにはこのような準備が必要」と、利用者が自らの行動を決定することができる速報性と信頼性の高い情報でありたいと思います。

 地の果てとも言われるここ知床を旅先として選んだ段階で、私たちが出会う旅人は、既に少し冒険に踏み出しているのかもしれません。知床を訪れた人たちが自分たちなりの冒険を選ぶための情報提供、それが私たちの成すべき仕事だと、考えています。