解説2:なぜ国立公園内(世界遺産地域内)でヒグマの追い払いが必要なのか?

 知床半島の西半分を占める斜里町においては、斜里町役場知床自然センター管理事務所(知床財団の前身組織の1つ)の時代から(1993年~)、出没即駆除ではないヒグマの非致死的追い払いが20年以上実践されてきました。半島東側の羅臼町においても、同様の追い払いが羅臼町役場環境課自然保護係(当時)により、1999年から開始されました。現在ヒグマの追い払いは、基本的には知床財団の職員が、両町から委託された業務として実施しています。

 追い払いは、ヒグマが過度に「人馴れ」することを防ぐことを主な目的として実施されています。では、なぜ「人馴れ」を防止する必要があるのでしょうか?

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写真2-1. 知床国立公園の境界線でヒグマを撮影するアマチュアカメラマン。

 

 人間と近い距離で出会っても、ただ写真を撮られるだけで何も怖い思いをしなかった・・・というような状況を何度も経験したヒグマは、次第に人間の存在を恐れなくなり、昼間から平気で人前に出てくるようになります。このような現象を、私たちはヒグマの「人馴れ」(human habituation)と呼んでいます。

 人馴れしたヒグマが「即危険」なわけではありません。しかし人間の接近を許容するため、餌を与えられる機会が増えたり、人家付近を無警戒に歩き回る結果、管理の悪い生ゴミや干し魚を食べてしまう機会が増えたりします。一旦このような人為的食物を食べたヒグマの行動は、急激に変化します。自然には無い魅力的な味の餌を求めて、人間を追いかける、車に侵入する、あるいは人家や倉庫に侵入するような個体になってしまうのです。つまり「人馴れは人身事故につながる危険なヒグマを作り出す一歩前の段階である」と言えるでしょう。

 餌付けや生ゴミなどによって野生本来の行動をゆがめられてしまった「危険なヒグマ」は、人身事故防止のため、最終的に殺されてしまう運命にあります。過度の人馴れは、ヒグマの寿命を縮めてしまうのです。

 単に人馴れしただけの個体であっても、子供がたくさんいる市街地の奥深くまで入り込んでしまった場合は、緊急的に射殺する以外に安全・確実な対応手段がないケースがあります。また、人馴れした個体が国立公園や鳥獣保護区の中と同じつもりで、保護区の外にある林道や畑を昼間に堂々と歩けば、狩猟や有害鳥獣捕獲(駆除)によって、簡単に捕獲されてしまいます。そして知床の国立公園や鳥獣保護区は、移動能力の大きいヒグマにとっては大した広さではありません(解説6)。

 私たちは追い払いによってヒグマの過度の人馴れを防ぎ、人間に対する警戒心を育てることで、彼らの命を守りたいと考えています。

 しかし、ヒグマはなかなか人間全体を恐れるようには学習してくれないという困った現実もあります。なぜでしょう?どうやら頭の良い彼らは、彼らにとっての危険人物(知床財団の一部の職員)と安全な人物(一般観光客やカメラマン)とを識別してしまっているようです。

 あなたが今、写真を撮っているそのヒグマ。狭い知床半島で、彼(彼女)を長生きさせるためには、どのような距離感で接すれば良いのでしょう?被写体に対して少しでも愛情を感じているならば、是非真剣に考えていただきたいと思います。

 

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写真2-2. 無人のレンタカーの車内をのぞきこむ若いヒグマ(個体識別コード:BS)

単なる好奇心か、あるいは車の窓から餌をもらった経験があるのだろうか?
(2013年9月6日 斜里町側の知床国立公園内で撮影) 

 

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写真2-3. 追い払いのための強い声かけに反応し、むしろ人間に向かって接近してきた若いオスのヒグマ(BS)

サケやマスを大量に食べて格段に体格が良くなり、「人間など怖くない」と自信をつけてきていたのだろうか?(2013年10月28日 斜里町側の知床国立公園内で撮影)
それまでにも何度か追い払いを受け, この日もこの直後, ゴム弾を尻に当てられていたのだが。結局この個体は2014年5月, この場所から約30km離れた集落近くに白昼出没し駆除された。

 


 

 ヒグマを追い払うと、「そのことを恨みに思って、ヒグマが人間全体を憎むようになり、次から人間を襲うようになる」と信じている方がたまにいらっしゃいます。
 しかし、知床では過去何百回、何千回とヒグマの追い払いが実施されてきましたが(たとえば斜里町では2013年だけで165回)、追い払いをした知床財団や地元町役場の職員が、次に同一個体と出会った時などに襲われたという事例はありません。また追い払い要員とは別の一般の方がヒグマに襲われた事例もありません。
 ヒグマによる人身事故は、知床では1986年を最後に長年発生していません。この事故は、知床でヒグマの追い払いが開始された1993年よりも前の出来事です。

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